nefunefuの日記

精神疾患や障がい者の理解が深まれば嬉しいです

一番無駄な悩みは変えられない過去の過ちを悔やむこと

私自身も数年前までは悩んでも解決しない過去の失敗に悩み、20年前にメンタル疾患を発症したときにすぐに会社を休んで治療すれば今でも一般社会で元気に働けたのにとか、12年前には躁状態が悪化して家族に多大な迷惑をかけてノイローゼ寸前に母がなってしまったこと、友人に高圧的な態度で接してその時の9割の友人がいなくなったこと、何度も後悔しては落ち込みました。

 


YouTuberの精神科医が動画でよく言っている言葉があります。

「過去は変えられない」

 


この言葉を理解してからは過去の悩みで落ち込むことはほとんどなくなりました。

過去に失敗したことはインプットし次に同じ境遇に立たされた時に同じ過ちをしないようにアウトプットすれば自己成長にも繋がると思えるようになりました。

 


まさか精神疾患を発症して20年経って初めて精神病棟に入院して、しかも医療保護入院、5日間の身体拘束を受けるという大変辛い出来事が自分に起こるとは思ってもいませんでした。

 


なぜ身体拘束までされる状況になったかというと長いうつ状態から軽躁状態に入り、その勢いのまま好きな女性とデートして、帰った後にドーパミンが爆汁してせん妄障がいを起こして幻覚と錯乱状態から家の近くにある大きなビルの会社に裸足で突入してしまったり、家の中で暴れてしまったからです。

正直、ほとんどのことは覚えていなくて、救急車で病院に運ばれて気付いたときには両手首、両足、お腹をベルトで巻かれていました。

 


でも私の周りには入院経験をしたことがある人は多いですが、身体拘束をもし、されたらこうした方が早く拘束から解かれるよとか看護師さんや主治医の言うことをよく聞いて素直にしていれば良いよとかアドバイス出来る話しの話題にもなりました。

 


その時は大変という言葉で終わらないくらい辛い経験でしたが、もし同じような境遇に合ったときに確実に活かせると思います。

 


過去の過ちを悔やむのではなく、そこからまた一歩前進できる思考回路が生まれると楽に生きられると思います。

精神疾患の薬は体質などで逆効果にもなりやすい

私が約20年精神薬を処方されて一番具合を悪くしたのはダントツでジェイゾロフトです。

 

 

今から12年前にそれまで長く飲んでいたデプロメールから新しい病院へ移ったこともあり、当時はSSRIの中で一番新しい薬でした。

 


服用して最初の3日でトイレに行くのがやっとで死にたいけれど死ぬ元気がないといった最悪な状態になりました。次の二週間後の診察ではフラフラの状態でいき、一ヶ月試して効果が出るか観察しましょうと言われました。うつ状態で主治医に意見をいう力もなくて計一ヶ月、自分には逆効果なジェイゾロフトを飲み続け、体重も10キロ落ちました。完全に寝たきり状態でした。

 


一か月が経ち、このままでは死んでしまうと自分の意思で前から服用していたSSRIデプロメールに戻しました。

 


わずか1日で寝たきりのうつ状態から躁状態に変わりました。どん底の日数が長かった分、かなりぶっ飛んだ躁状態になり母はノイローゼになるくらい、友人にも暴言ばかりでほとんどの友人を失いました。

 


あえて良かったことと言えば、うつ病という診断から8年近く掛かって双極性障がいII型だと分かったことです。治療方法も違うし今まで知らなかった自立支援、障がい者手帳、障がい者年金の手続きも出来て、審査にも通りました。

 


これ以上、薬が合わなかったことはありませんがエビリファイは手足の震えが止まらなく、すぐに中止しました。

 


去年の秋に入院してから双極性障がいの薬がガラッと変わりましたがクエチアピンは食欲増進の作用が高く、代謝も落ちやすいのか最初は凄く太りやすい薬でした。

三ヶ月くらいして食欲は元に戻り、筋トレや散歩の運動を取り入れて、今は増えた分の体重がほぼ前と同じくらいに戻りました。

 


精神疾患の薬は多くの人に良い作用を促す分、少数の患者さんにはとんでもないことに作用を引き起こす可能性があることを多くの方に知っていただきたいです。

なぜうつ病という誤診から双極性II型の診断に8年も掛かったのか

約20年前にメンタル疾患を発病しました。私はドラッグストアで一年半の下積みを経て25歳から店長として社員、パート、アルバイトを入れると30名近くをまとめる管理職になりました。

最初の一年間は周りの力強いサポートもあり、毎日職場には12時間以上残って仕事をしていましたが充実した一年を送ることが出来ました。

 


一年後に異動の人事が降りて、店舗運営に問題のあるお店に移動になりました。

従業員の知識、在庫管理、お客様のクレームが桁違いに多く3日でうつ病の症状が出て体調を崩しました。

 


当時はうつ病という言葉は聞いたことはあるが、周りにもいないし、どういう病気かもよくわかりませんでした。

 


最初に受診に行ったのは脳のMRIでした。

特に大きな問題はありませんでした。

 


上司から精神科の受診を勧められて受診をしました。診断名は自律神経失調症でした。

今思うとものすごく曖昧な診断名だったと思います。

 


実際メンタル疾患を発症してからは、体重が一ヶ月で10キロ痩せるし、夜眠れません、もの覚えも出来ず仕事になりませんでした。

新人のアルバイトさんに初日に教えるレジ打ちを自分が出来なくなっていました。

 


結局メンタル疾患を発症してから二ヶ月間が経ち私が早々と出していた退職願いが通り通りました。

 


今回のテーマの話しに移ります。

後に他の病院でうつ病と診断されます。

抗うつ薬SSRI抗不安薬眠剤などが出されました。

 


この時はもしかしたら双極性障がいではなくてうつ病だった可能性もあります。

 


自分はすぐに完治して新しい職場を探していたので就職しては一週間も持たずに退職をする繰り返しでした。

 


医者の治療が悪いと勝手に決めつけ、診断名が、うつ病から双極性障がいII型と分かるまで8年近く病院を転々としていました。

双極性障がいII型の患者さんがうつ病と誤診されて分かるまでに平均8年近くかかるという記事も見ました。

 


おそらく私のように治らないから病院を転々として誤診が多いのかもしれないです。

 


私がなぜうつ病から双極性障がいII型と分かったかというと、新しく変えた病院で初めての服用になるSSRIを服用して、真逆な作用のうつ状態になりもとのSSRIの薬に戻したところ、とんでもなく攻撃で眠らないで行動していたからです。

 


一回メンタル疾患を発症すると完治される方は状態にもよりますが1割から2割くらいだそうです。

 


完治を目指すことなく寛解という意識を持つことが大切です。少しずつ部分寛解を感じながらゆっくり良くなることを願います。

精神障がいに関して知っていただきたいです

私は一般的には障がい者という立場かもしれないです。

 


自ら精神障がい者の認定を受けにいき障がい者手帳と年金を貰っているから、そう言われたり思われても当然です。

 


26歳でメンタル疾患を発祥

33歳までうつ病と診断を受けていたが双極性障害二型(躁うつ病)と分かるまで8年近く掛かかりました。

 


46歳の時に初めて精神病棟へ入院した。

しかも、一番辛い身体拘束を5日間経験した。

友人の9割は精神障がい者である。

 


一般的に言われる健常者との交流は福祉施設で働く人と家族くらいです。

 

 

私から皆さんへお伝えすることで

病気の理解、入院生活、福祉施設、家庭内の価値観の差、日常生活の現状などをご理解いただけますようよろしくお願いします。